学ぶ

スポーツや、絵のプロなんかに上達のコツを聞いたりすると、慣れやら、センスやらが大事というのはよく聞くが、
学問の世界に感覚でしか得ることのできない知識なんてない。
と思ってる。


つまり、誰でも順を追って本を読んだり、人に聞くなりすれば、
スピードは個人によって、教える人によって、選んだ本によって違うが、
必ずいつか理解できる。


そして同時に理解するということは、再帰である。
つまり理解したとたんに、次はまた別の対象にとって
教える側、本を書く側になるということであるのだと思う。


自身も実際大学入試の頃から、他人にちゃんと説明できるか、
ということを理解の尺度として自分の理解の段階を測っていた。

まぁ、大学入試に関しては、自分さえ問題が解ければいいので、
この尺度が絶対であるとは言えないのだが・・。



この理解の循環を正しく刻むことこそ、学問における上達であり、自身の成長なのだと思う。


そしてそのために大事だと思うのは、分かった気になる。という状態を
ちゃんと受け止めるということ。
誰でも理解までの途中段階である「分かった気」状態は通るものなのに、
解決すべき問題によっては、すっと通り抜けてしまうこともあるので、
この状態の大切さをわかってない人が多い気がする。


この段階では、細かい部分を除けば納得できたり、他人に説明できたりするのだが、
じっくり論理立てて考えていくと必ずどこかで理解や説明がつまってしまう。
そしてさらにそれ以上は、他人に教えられても、本を読んでもなかなか進まなくなる。


そこですべきことは。議論。
もちろん冒頭でも述べたように、時間さえかければいつかは分かるのだろうが、
分かった気状態はその状態になってすぐ処理する方がいいと思う。



議論は、理解した!と勘違いして他人に意見を押し付けるのではなく、
ここまでは分かった。でも、ここが分からないということを、自分で認識したうえで、
足りない部分についての情報を交換するというようなものがいい。


こうすると、理解に到達することができ、
理解の循環を正しく刻むことができる。
そう思うのである。


と、この理解を文字にして、(これは学問というより、持論だが)これも理解(共感?反感?)の循環としたいと思う。




今日、久々に、1日考えても理解できない問題に直面したので、
その解決のためにも、ここで文章にしてみた次第。
議論しましょう。。。