やっと春

ようやく気温もあったかくなってきて、
桜が満開の京都鴨川には、
お花見客があふれんばかりにひしめいておりました。


そんな鴨川をぶらついていると、
激しく忙しい日常、それにともなうイライラ感が
どうでもよくなってきたりします。


いやー、やっぱ京都はいい!
と再確認した。



それでも、忙しさが消えるはずはなく、
論文投稿、学会発表、学校の研究会発表、
気持ちばかりの就活、などで
忙殺されそうです。


そうそう、研究室にも来週には新しい新入生が入ってくるだとか。
楽しみ。

SVC2011 シリコンバレーから その11

3月17日

帰るだけの一日。最終日は見事に晴れて、気持ちのいい朝を迎えました。
ホテルでクソまずいオードミールなどというものを食し、出発。


東京に住んでいる方は、もう少し様子を見るといって現地に残る人が何人かいたが、
関西は幸いにも大丈夫そうだったので、予定通りの帰国。


出国審査の時に腰のサポーターをめちゃめちゃ怪しまれて、5分ぐらいとめられたがなんとか出国。
帰りの日本行きの飛行機はがらがらで、横になって眠れるぐらいだった。



本当に想像でしかなかった世界に足を踏み入れ、
日々自分も使っているサービスや製品がそこで生まれている現実を知った。
日本人も大いに第一線で活躍していて、みんな生き生きしていた。
本当に自分は何もしらなかったと思い知った。


でも、楽しかった。仲間を集めてほんとうによかった。
これもまた一つのコネとなり、いつかどこかで会える日が楽しみとなる。
これがシリコンバレー流なのかな。



これからどうするかはあえて書かないが、
ここで知り、体験したことは確実に人生に影響を与えると思う。
誘ってくれた友人、企画してくれたJTPAのスタッフ達、一緒に行動してくれた仲間、現地でお世話になった参加者、スタッフに感謝。

SVC2011 シリコンバレーから その10

3月16日

親切にしてくれたクルーに礼をつげ、
マウンテンビューのホテルをでて
サンフランシスコに向かった。


みんな予定バラバラの中集まった人たちなので、
今日もまた一人帰国していった。
1週間だが、寂しいものである。



U.C. Berkeley

今回3つ目の大学であるが、これもまた雰囲気が違う大学だった。
サンフランシスコの北東に位置するバークレイの
山の中腹に自然と一体化するように建てられたキャンパス、
その中央にあるどでかい時計台と生い茂る木々は
Stanfordの整然とした感じとは異なり、歴史を感じさせるようなものであった。


時間がなかったので、1時間ちょっとぐらいしかいなかったが、
帰った直後に友達のid:yuku_tバークレーに来てたのだ。
なんというニアミス。 せっかくなので会いたかったもんだ。

Golden Gate Bridge

ふもとまで行ってチラっと見ただけ。
すごく赤い。

Twitter

いつもお世話になってるtwitterに。
町中のビルの3フロアぐらいがオフィスになっていた。
そのうち1フロアだけ案内してもらったが、
至る所にtwitbirdがいて、ファンシーな感じだった。


今や400人もの社員がいる大企業だが、
広々なスペースと、のびのびした雰囲気は維持されているようだった。

丹羽さんというエンジニアの方にお話を聞いた。

  • 作った者はHDDの中に閉じ込めておくのではなくて、外に出しなさい。

コイツができるやつかどうか判断するのは、携わったプロジェクト、作った物をみることでしか判断できない。

  • コミュニティを広げる作業は重要

基本みんなオタクなので、家でひとりでポチポチしてる方が好きだが、
やっぱり他の会社の人などと交流するためには
週末に無数にあるイベントに参加したりしないとダメ。

  • 140文字の理由

もともとSMSサービスのデータ構造を改造して作ったらしいが、
SMSのデータ上限が160バイトだった。 
そこからTwitterの属性など20バイト分を確保して残りの140バイトをツイート上限にしていた。
UTF8では1文字MAX3バイト使ったりするので、それでは足りないということで、
現在の140文字にしたらしい。 ほへー

8日目を終えて

集団行動するというのは楽しい反面、難しいこともいろいろある。
メンバーも社会人から学生まで多様な人間が集まっていて、
一緒に行動しているだけでも、学ぶことが多かった。


特に社会人経験のない自分にとって、シリコンバレーで働くことを考える際に、
日本で社会人を経験してきた人たちの話は現地でのスピーカーの話と同様に衝撃的で、
ためになるものとなった。



最終日の夜は最大5人いた仲間も2人になり、
海岸の近くのホテルで最後の夜を過ごした。

SVC2011 シリコンバレーから その9

3月15日

部屋に帰ると、テーブルの上に
うどんと海苔、そして手紙が置かれていた。
その手紙には、当ホテルを選んでくれてありがとう。
いろいろ大変だろうけど、元気にがんばってくれという旨の内容と、
ホテルのクルー全員の直筆サインが添えられていた。

わざわざ日本食を買ってきてくれたようで、
感動せざるを得なかった。
このホテル、☆5つじゃ足りない。


後半になって、だいぶ予定も落ち着いてきた。
でも、連日ホテルに帰っては日本の状況をUstreamNHK放送で確認したり、
滞在日程を延ばすかどうか調べたりして、
あまり余裕は感じられなかった。


シリコンバレーののんびりさは
堪能できてないなー。


Google(3回目)

また来た。
もはやタダ飯を食いにきてるのかと言われそうだが。。w

今日は吉田さんという方が案内してくれた。

  • 絵に書く力

技術者は絵に描いてうまく説明できる力が重要。

  • INとOUT

プログラムを作る前に考えるべきことは、
何をINPUTして何をOUTPUTするプログラムを作るのかということ。
これをチーム全員が理解しておくのが重要。

  • 面接ではすべて知らなくてよい

知っていることをもとに、論理を組み立てて、
話し合って決めていく能力が求められている。

  • サポートと新規開発

日本の会社は新規技術の開発とサポートを同じ人がしているから忙殺される。
アメリカではそこはうまく分けられている。


Apple

1 infinity loopという番地がもうすでにかっこ良すぎる。
残念ながら今回中に入ることはできなかったが、Companyショップでお買い物。
iPad2をぬるぬる触ってきた。

少しだけでも中に入りたくて、トイレを借りたが、
中庭がすごくきれいで、Googleほどオープンではなかったが、
みんなのびのびしてた。

ここで今も次のデバイスが開発されているのか。
ミーハーながらに感慨深い。

Intel Museum

時間がちょっとあったので、よってみた。
めちゃめちゃ昔のCPUとかおいてありました。
でも、新しいのはXEONまでしか置いてなかった。

回路作るにはホコリ一つない工場作りが大切らしく、
それを全面にプッシュしてた。


7日目を終えて

車で目的地を探しながら移動してると、次々に見たことあるような企業が目に入ってくる。
Yahoo,McAfee,nVIDIA,CISCO,etc...
あまり詳しくない自分でもテンションが上がってくるのがわかる。


マウンテンビューには一応食堂街みたいなのがあって、
中華、タイ、ベトナム、日本料理などいろいろ。
でも、やっぱりどこもいまいちですね〜。
舌の問題かもしれんが、日本の食生活の水準がいかに高いかわかる。

SVC2011 シリコンバレーから その8

3月14日

もう帰ってきてますが、気持ちはシリコンバレーから。


ホテルの人が日本がピンチだから部屋をいいのに換えてあげる!
と、親切にもグレードアップしてくれた。

きっと何か自分達にできることないかということで、
日本人の自分達に親切にしてくれたんだろう。

連日CNNでも日本の津波原発のニュースを流し続けていたので、
現地人に日本人だというたびに、大丈夫かと心配された。


この日から、パーティが一人増えた。
昨日ひとりで行動してて足もなかったらしいので、一緒にどうですか?って誘った。
話を聞くと研究室の先輩の知り合いだった。
なんという世界の狭さ。

この日はIDEOFacebookの予定。
しかし、メンバーの予定の関係で足がなかったので他の人に
車のせてもらった。そしてその流れでgoogleに行って、飛び入り参加させてもらった。

IDEO

デザインの会社。といってもモノ作りが基本。
初期のマウスのデザインとかしたらしい。
日本にもオフィスある。

  • T型構造

縦軸は専門性。横軸は協調性。
各々の専門をmixして、いいモノをつくる。

  • プロトタイプを作って、作っていいものを探す。

小さい工場があって何でもすぐ作れるようになってた

  • Freedomな雰囲気

自転車を天井に吊るすという案を一人が考えたら、
次の日からみんなまねするようになった。
オフィスの天井は自転車だらけだった。w

Google(2回目)

Noアポだったが、行ってみたら入れてくれた。
この前のリベンジ成功◎

  • GoogleJapanの飯はレベルが高すぎるらしい。

MountainViewのご飯はまずまずでした。w
それでも現地では相当レベル高いらしい。

  • オフィスの中まで見せてくれた。

友人は別グループだったらしいが、
セルゲイぶりんみたらしい。まじかよ。

  • G-bikeに乗りまくった。

Googleカラーの自転車や、タイヤがChromeになった自転車が
そこらに放置してある。 自由に乗りすてていいらしい。 なんて自由!w

Facebook

stanfordの近くの丘の上にオフィスがあった。


オフィス内はくるっと一周しただけだったが、
驚くほど天井の高い、だだっ広い部屋に机が並べられていて、
各々がそこで仕事をしていた。
映画ででてきたのとはちょっと違った。


真ん中にあるミーティングスペースには数人が集まっていて、 
よく見るとCEOのマーク・ザッカーバーグが普通にいた。
手を振ると、笑って手をふりかえしてくれた。
かなり衝撃的だったが、なんていうか写真で見たそのままだった。

ただ通路を歩いていただけなのに、
何かすごいことをしてしまったような気分になった。
メッシとか、フェデラーとか、イチローとかに会った的な感じなのかな。


  • 1チームが3,4人で構成されている。
  • オープンソースのプロジェクトなどもしており、半分以上が技術者
  • 日本の市場はすごくhard
6日目を終えて

今日まわった企業はどれも一流だった。
コンセプトがはっきりしていて、スペシャリストの集まりだった。
日本の経済成長の時の企業もこんな感じだったのかな。


やはりとりあえず作ってみる。Makeの心がやっぱり肝心なんだなということ。
いいと思ったら作る。これがすべて。
前から重要だとは思ってたけど、
それが当たり前のように日々行われているのがシリコンバレーなんだな。

SVC2011 シリコンバレーから その7

3月13日

今日は一緒に行動していた日本IBMの営業の方が帰国した。 
前日に、ホテルに帰ってから、朝4時ぐらいまで議論?していたので、
だいぶ疲れがたまっていたが、今日は有名人に会える予定だったので、
奮起して、起床。

予定としては朝から渡辺千賀さんと参加者10数人でカフェで朝ご飯しながら、トーク
昼からは昨日の発表者である金島さん宅にお邪魔する。
そこにまさか梅田さんが来るとは!!!
本持って行けばよかった。


この日は滞在中初めての雨。
3月から10月ぐらいはほとんど降らないらしいが、これもいい経験。
心地よいぐらいの軽い雨。

渡辺千賀さん

有名人ですね。
こっちで働いてる女性は、なんかキツいけど、若々しいですね。

  • デザイナ、エンジニアは来るべき

マーケティング、セールス、アントレプレナーにはシリコンバレーは厳しいが*1
特にデザイナは必要。UI,UXに精通して、コードもかけるなら時給150〜200ドルぐらいで仕事がある。

  • これから日本はどんどん衰えて行く

日本にいるのはリスクが高すぎる。
何か事件が起こった時に東京の地下鉄でパニックで死ぬイメージがあって、
それだけは避けたいと思ってこっちに来た。
今回の地震は不謹慎だが、日本へのイメージに近い。


金島さん宅

SVドリームの体現者。
マウンテンビューが一望できる景色のいい豪邸に招いていただいた。
SVにおける生活に関して生々しい話をきいた。

久保圭さん

同年代で、学部から留学されてた方。
もともとCSではなかったが、3年の時にCSをダブルメジャーで履修。
現在2年で100万ドルで売却を目標に起業し、
GAEのような、platformサービスをDropBoxのようによりわかりやすいレベルで提供するサービスをリリースするみたい。
是非つかってね。とのこと。


梅田望夫さん

3年ほど前に初めてしったが、この人の本を読んで
この業界に夢と希望を抱くようになった。
そんな人と2時間ぐらいお話できた。
今までの方と違って、人間にフォーカスして自分の体験を交えながら、
悩み相談室みたいな感じになってた。

  • 成功するのは自分の適性を仕事にした人

自分が何が好きで、何が適しているか。
本当にエンジニアで、四六時中コードを書いていられるのか?
他に適性があるのでは?自分が何者であるのか自分でよく考える。今がその時期。


でも、自分が何者で何ができる人間か、はっきりと言うことができなかった。

  • 日本企業も物理、化学などの分野では世界トップレベ

原発エンジニアがいい例。
見えないだけで、ごく一部の優秀なエンジニアが日本を支えている。
でも、ITはシリコンバレーがメインになってる。
日本にも優秀な技術者がいるけど、世界を相手にやるならSVにくるのがいい。
メジャーリーグのようなもの。

  • エンジニアには◎ 他の人は△

シリコンバレーはもうルールができてしまっている。
そのルールにのっとってうまくやった会社が成功する。
エンジニアに必要な英語力と、起業家、マネージャに必要な英語力は
圧倒的に違うから、そのルールで戦う上で必ず障壁になる。 
はてなもそれでうまくいかなかった。

起業したい人でも、20才ぐらいの若い人になら留学してそれからSVにくることを勧めるが、
25才ぐらいでパワーのある人はインドや中国とかもっとカオスなところで
がんばったほうがいいよ。

でも、エンジニアにはとてもいい場所。
Googleは20〜30年はつぶれないと思うよ。

  • 日本の将来

日本の将来のことにそんなに興味あるなら、政治家になってください。
一般の人のことも考えないといけない。
自分自身もまともに成功できない人間が悩んでも何もできない。
それに自分ががんばることが日本のためになる。

Webサービスも同じようなモノで一般の人のことを考えないといけない。
動いて当たり前の世界で、バグをつぶし、顧客からやんやいわれ、
サーバが止まっては夜中に出社。それが好きならいい。


5日目を終えて

日本はもうダメだという議論は嫌いである。
もっとよくなれると思うし、これからも期待したいが、
どうすればいいのだろうか?と考えていたが、
梅田さんの話を聞いて一つの答えがでた。


将来はエンジニアになりたいと思っているが、
果たして、ほんとにそれが適性なのか。
ほんとに好きなのか。 
とりあえず本気でやってみて、見極める必要がありそう。


また、一度はSVで働いてみたいと思っているが、
そのためにはビザの問題とかいろいろあるが、
何かのスペシャリストになればいいだけ
の簡単な話だというふうに理解した。


もはや文章にまとまりがないのは、
消化する時間をとれていないというのもあるが
脳内がカオス状態になっている証拠。


それでも、シリコンバレーの空気は澄んでいて、
今その地に立って、いろんな体験をしている。
RPGでいうと、同じパーティだが育てられなかったキャラみたいになってる。
レベルの高いところにほりこまれて、あたふたする感じ。
でも、確実に経験値はゲットしてる。

*1:語学的な意味で

SVC2011 シリコンバレーから その6

3月12日

カンファレンス当日。
会場のサンノゼ大学は街の中にあり、スタンフォードとはまた違った都市的な空気感を放っていた。
twitterを見ていると、日本でのdisasterによって飛行機が飛ばなくなって来れなくなった人が
何人かいたようだった。

カンファレンス

SVでの成功者達が登壇する。
バイオベンチャーで成功した金島さん、昨日話したVCの大澤さん。
そして、留学して成功した人、転職して成功した人。


そこで学んだのは、SVで働くには

  • 留学する
  • 外資系日本企業から現地へ
  • 飛び込みで転職
  • アメリカ人と結婚する

これらのパターンしかないということ。
外資系に入っても運がないとこっちには来れないし、
飛び込みで成功するには相当な技術力が必要。
ということで、留学が一番確立の高い選択肢だという話をしていた。


またSVではプログラマ35歳説はあり得ない。
もちろん年をとると、徹夜など体力的にしんどい仕事はできなくなってくるが、
圧倒的な知識量で問題解決の方向性を決めたり、
若造では書けないような、いぶし銀のコードを書いたりするみたいで、
うまく仕事が割当られているらしい。
いいね!

懇親会

その後行われた懇親会は、深夜まで続いた。
いろんな人と話した。

今回JTPAのトップであるひろしまさんの話が印象的だった。
日本はもう年をとった。 これから人口は減少していくし、
働く世代はどんどん少なくなる。
また、いつまでたっても大企業は中途採用を増やさないし、
人材の流動性がなく、従ってベンチャーも生まれにくい環境にあると言える。
もちろん日本がもっとよくなればいいと思っているが、
必然的にマーケットは小さくなり、できることも少なくなってくる。
選択は自由だが、日本で初任給年収800万ないのならやめた方がいいと言われた。


また、Appleのシニアエンジニアである松田さんとも話をした。
彼は今回会った中で一番のGeekだと思う。
技術の話になると、話がとまらなくなっていた。
ゲーム好きで、その関係の仕事しているらしく、昔スーファミエミュレータとか作ってたとか言ってた。
その話のコアな部分についていけない無力な自分。
でも、本当に楽しそうだった。 

4日目を終えて

いろんな人とコミュニケーションできて楽しかったが、同時にすごくつかれた。
あまりにも多くの刺激が入ってきていて、脳内はパンク状態だったが、
感じたことは、SVで働いている人は全体的に空気感があったかいということ。
むしろ参加者の方々は、目がギラギラしていてなんか怖い。

また、いろいろなロールモデルが見れたのは大きかった。
もちろんそれぞれの人は一つの例の集まりであって、こうすればSVに行けるとか、
成功できるというのはないが、それを知ることには大きな意義があった。